勘違い

勘違いというのは、心地よく生きる、そして生きさせるために非常に有効な手段だ。

例えば、我々は時折「もし自分がいなかったら...どうなっていたんだろう」「自分たちがいなかったら...どうなっていたんだろう」と非常に思い上がったことを妄想する時がある。しかし、もし居なくとも、実際には別に何も起こらない。居なかったらいないで別に現実は普通に回る。

勘違いは、「然るべき現実から(故意に)目を逸らし、自分に良いように解釈する」ことだと思っている。また、我々はこの「勘違い」を他人に誘発させるための誘導をすることが多々ある。まるで「貴方しかできないんだ」のような空気感を醸し出し、徹底的に使うことを何度も繰り返す。

しかしこれは、使われている側も使っている側に勘違いさせているというパターンもある。つまり、「騙されて使われている」というシーンを演出することで、使っている側を驕り高ぶらせ、白蟻のように中身を食い散らかすようなことをすることだってある。

このように勘違いさせ合うことでお互いを気持ち良くさせることが生きる上で大事なのかもしれない。昨今、私が生きる意味とはみたいなところを見出そうとする人がいるらしいが、実際にはそんなものはなく、ただ一民族の、一種族の一個体として、全体最適のために使役されている存在にすぎないことは明白であり、たとえ明日死んでも、別に人間全体にはなんの影響もない。逆に考えれば、好きなことをしても別に人間全体に(絶対的な)迷惑をかけるわけでもないことを考えると、何も気を負う必要はない。自分の存在意義を見出そうとすることこそが、「勘違い」なのではなかろうか。