○○風

ハライチの岩井さんがよく言う様に最近のゴールデンは「お笑い風」が多いと思う。

僕は「できるやつ風」が最近の同世代に多いと思う。正直、世間では出しゃばってるやつ多すぎて反吐が出そうになる。そもそもが先輩のコピーのくせに偉そーに自分がさもやったかのような...貴様は何者なのか。「頑張ってる風」が大好きな中小企業の社長さんには気に入られてて、まぁいいんじゃないかと思うけど。

これは、誰かが言っていたことだが、頭の悪い奴ほど人の言葉を引用する。よく言えば引用、ストレートに言えば丸パクリだ。コピーして生きていける今は別に構わんが、あと数年もすればもう社会のゴミなので、精々あと数年楽しんでほしいと思っている。

残念ながら僕の思う「正当な評価」というのはなされない場合が多くある。しかし、個々人の「正当」というのは主観によって確立されるものであり、ポルポトにとっては原始共産制を目指して行われた300万人もの大虐殺は「正当」であったし、NKVDにとっての大粛清は「正当」なものであったに違いないといったことを踏まえると必ずしも「正当」が全世界的に「正当」かと言われるとそうではない。全世界的に「正当」なものがないとするならばバトルロワイヤルのような個人戦しかないと思ってしまい、味方のいない不安さを感じる。そこで登場するのがマスメディアだ。マスメディアは、さもこれが「正当」であるかのように、都合の良いように操作された情報を垂れ流す。この主人公は、若い女性である。本来であれば全く何にも使えない(繁殖にも労働にも)、社会から最も必要とされることが難しい人々=最弱者の味方であるかのように振る舞う。そこで踊らされた若い女性は、パパ活、痴漢冤罪などという自滅行為に走る。踊らされているのは自分だとも知らずに、勝ち組かのように、全く身の丈に合っていないご飯を食べ、希少価値の高い食材を社会にとって無駄でしかない個体の一部とする。若い女性を批判しているのではない、勘違いさせているマスメディアに対する批判である。マスメディアが若い女性、しかも「バカな」若い女性を取り込むのに使った方法こそが「○○風」なのだ。「○○風」は誰もが馴染みやすく、自らの意見も○○だったかのように錯覚しやすいものだ。これらを多用し番組を構成し続けた結果今日の「なんとなく違うよね、テレビ」につながっていることは言うまでもない。自分が「正当」だと思い込んでる30-50代のおじさんたちが自分たちが偉いと思い込んでいる若い女性を騙し番組を作るテレビが大衆にウケるわけがないのだ。

話が大分逸れた。垂れ流されている「正当」を自身にとっての「正当」か見極めるのはただ個人に委ねられており、その判断の方法について単一情報源でなく多元的な情報に基づき自身の経験と計測に根ざした判断によって決定され得るのだということだ。それ以外のフローによって生み出された決定というのはただの人の鵜呑みであり、そんな人間はただの固体にすぎないと思って仕方がない。