オーセンティック理論

友人が面白い理論を提唱していたのでそれについて書き連ねてみる。その名も「オーセンティック理論」。まぁ全体像は最後まで書き連ねればわかるからお待ちください。

 

「Authenticな人」とは社会化(Socialized)されていない状態しか居られない(もしくは社会化されてしまったまま自分の軸を持つことができない人)のこと。大抵の人はどこかで、自分のことをメタ認知し社会化されてしまうが、メタ認知せずに(もしくはできずに)そのまま大人になる人もいる。もしくは、初めから自分の軸を持っておらずそのまま自分の軸を持てないまま大人になる人もいる。

 

社会化されている/されていないの軸の他にもう一つ、「熱血」か「冷笑」かという軸がある。この言葉の定義は説明する必要がないほど人口に膾炙していると信じる。

 

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雑な図示で言えばこういうこと。

 

んで、ここからが本題で大多数の人間は、左下の部分にいる。そしてたまにいる「よくわからない評論家」...例えば、ひろゆきになりたがる何者でもない奴(ヤフコメによくいるあいつらのことだ)なんかは右下に、マック赤坂なんかは右上に該当するだろう。大事なのは左上の存在になること。わかりやすく例えれば、ゼンショーの社長はそうだっただろう。

 

でも既に社会化される段階で「冷笑系」に多かれ少なかれ落ちてしまう、となるとそこから上に上がっていくのは至難の業だ。となるとメタ認知した上で「熱血系」に見せかけることで上手くいくはずだという仮説が立てられる。

 

が、別にゼンショーのあの人のようにならなくても、駅前で大声で演説しているようにはなれなくても少なくとも彼女に告白する時は「左上の存在」になれたはずだ。実は仕事でうまく行くというのもそれと延長線になるのではないかということ。

 

ちょっと面白い話だったし、自分の延長上に彼らがいるとなると頑張れるよね。

やっぱ人生はわからない、分からない。

話したのは小学生ぶり...となると十数年ぶりの友人...そう今は友人、小学生の当時は知人とFBで少しやりとりした後会った。明らかに常人っぽい砕けさがない不思議なメッセージの彼との久々の出会いは少しだけ緊張していた。言わば優等生だった私と不良にも近い彼との接点は帰り道の電車が同じことだけだった。私は中学でその学校を離れ、東京の学校に通った。私にとっての彼の印象はとにかく絵が上手い男の子だった。その後の彼の進路はよく分からず、ただ「大学時代にフランスにいること」だけが分かっていた(それすらも違うことが後から分かった)。

 

兎にも角にも当日彼からメッセージが来たので、ご自宅に伺うこととなった。その住所は明らかに高級マンションを指していた。ようやくそこで彼の実家が裕福だったことを思い出したが、(少なくとも私が知っている)彼の性格上、親が借りる家に住むことはないだろうと思った。だからこそ何をしているのかとても気になった。

 

彼の家はエレベーターにたどり着くまでに複数の鍵があり、THE 高級マンションと言わんばかりの玄関であった。インターホンを鳴らすとどこか聞いたことのあるような、でも当時とは違って少し低い知人の声が聞こえた。

 

散々迷った挙句、玄関を開けると友達がいた。15年以上前、ボブで少し丸い顔だった友達は背の高いシュッとした、相変わらずかっこいい顔の友達が立っていた。聞こえるか聞こえないか分からないくらいのクラシックに膝の下くらいまである芳香剤、なによりあまりにも綺麗すぎる部屋に似合わない地図や元素記号周期表、英語の勉強のためのA3の紙が至る所に貼られていた。

 

彼は旅人だと言っていた。旅人だと示すように地図の中の都市には蛍光ペンで線が引かれていた。そんなものを見ている間に彼が食事を用意してくれていた。彼は私が日本で利用したことのない食事を届ける宅配サービスを使っていた。バレないように値段を見ると、とんでもない金額の...それは言いすぎた。が、旅行先で買うか買わないかの値段のお弁当だった。(美味しすぎてすぐに食べ切ってしまった。)

 

そっと友達が席を離れた後、家族に「○○は元気だったよ!良かった!」とLINEで伝えた。

 

それから10時間くらい尽きることなく話した。これまで何があったのか。今何が困っているのか。どうなりたいのか。(もちろん下ネタも話した。)

 

昔々、授業中に先生に隠れながら絵を描いていた少年はそこにはもう居なかった。けれど、変わらない彼が居た。(変わらないというのは彼にとっては失礼なのかもしれないが)明らかに自分で考えたのではない模造紙の前で「おいしいピッツァの作り方」を首を傾げながら「ピッツァ??がぁ〜」と話す少年は居なかったが、当時と全く同じ口癖、ボブではなかったが前髪を掻き上げて大笑いする姿、そして強すぎる芯は全て残っていた。

 

具体的に何を話したのかをここに記録してしまうのはなんだか小さく簡単にまとまってしまいそうで嫌で...

 

私は彼と昨日会っていなかったら、一生何にもしっかりと挑戦せず、誰かと比較し続けた人生だったのだろうと思う。そして彼から言われた「△△(私の名前)は、きっとうまく行くと思う。」は頭の中に反芻している。もちろん、日本で最も魑魅魍魎とした街で勝ち抜いて来た彼の話術なのかもしれない。そんなことを人に言うは彼にとって容易いだろう。それが本心なのか、"トーク"なのか、そんなことはわからない。けれど、彼の生き様それ自身が私を勇気づけ、奮い立たせたことは間違いない。

 

少し照れたような顔をしてテストの答案を受け取っていた彼が2026年彼の今後のやりたいことをまるで今後の人生の時間がほぼないのか、はたまた無限かのように話す姿を見たら死ぬほど驚くだろうと思った。

 

たった四半世紀しか生きていない私達にとって十数年という歳月は、私たちの常識という名の偏見を異なるものにさせるのには十分すぎた。それでも同じ話題で大笑いして、また来年も、その後も元気にしていたらいいなと思う。

 

多分彼の人生はまだ始まったばかりで、私の人生もまだ始まったばかりだから。

名誉の死か転向の生か

自分の宗教がなんであるかは大事にしたいと思っている。それは仏教とかそういうことではなくて名前のつかないそういう宗教。

 

中華圏の最果ての島国である日本は仏教もなく、儒教もなく、かといって伝来したキリスト教も広まらず、いわゆる土着宗教である神道と仏教が融合したようなそんなざっくりとした世界観の中で生きている。だからこそ、自分の中の宗教を守らないとよりどころがなくなってしまうと思う。

 

しかし、「自分の中」の宗教というくらいだからすぐ横にいる他人とは全く違うものを持っている。当然だと思う。この自分の中の宗教は生まれてからの周囲の環境から自分が感じてきたものを中心にくみ立てられている。

 

いやもう具体的に言えば、それは日本を戦勝国にしたいと思うその一心で生きてるということなんだ。アジアのどっかの小国を責めればよいではないかというそういうことではなく、昭和20年のリベンジをしなければならないということなんだ。

 

だからこそ、米国なんぞくそくらえだと思っている。が、今の日本にそんなことができるはずもなく、そんなことができる国は世界のどこにもなく、アメリカ以外のすべての国が合わさったとてできないだろう。もちろん私はiPhoneを使っているし、iPodで音楽を聴いていた。これはgoogle choromeを開いているし、geminiやclaudeのAIに相談している。いわゆる白物家電やお風呂、DJ機器は日本製を使っているのが他人様よりは日本の製品に囲まれて過ごしている気がする。(が、それらの組み込み装置はwindowsとかなのだろうが)

 

なにより私が見ていられないのはその米国人やわが国と戦火を交えた欧米人の元で嬉々として働いている人らなのだ。(そういえば別にドイツやイタリア企業ならいいなと思う)もちろん、日本には職業選択の自由があり、第三者に向かって「そんなもん売国〇みたいに働くな!」ということはしない。なんというか、お金に困ったから風俗で働くみたいなもんだと思っている。とか、もっと適切なたとえを出せば、戦後すぐの道端で進駐軍を相手にした街娼(パンパンとも呼ばれた)のようだと思っている。彼女らは確かに、「みっともないこと」をしていたわけだが、敗戦国になった日本が悪く彼女らだけを責めるのは大間違いだ。無論その中でもまじめに働いていた人はいたわけだが。政治の世界でも、小説吉田学校で描写されていたように、戦後はGHQにお伺いを立て、総理を立てるということをやっていたわけで、別に一部の「みっともない」人たちだけが、そうだったわけではない。そして何より、たまたま私自身がその「みっともない」選択をしなくて済んでいるような状態ではあるが、私自身もそのような選択をしてしまう可能性は大いにあるという中で私はいつまでこの宗教を持ち続けるべきなんだろうかと思っている。

 

宗教というのは厄介なもので、「じゃあ明日からそうみるのはやめようね!」と思って辞められるものではない。し、やめたいかといわれると別にやめたいとも思ってない。わが国は、薩摩に理不尽な砲撃を食らわせたイギリスからも外国要人を高給で招聘し、その技術を学び、明治の急成長を遂げることができ、ロシアを打ち倒す...五分五分に持っていくことができた。今そこで働いている人らがそんなことを考えているかと考えるとそうではないだろう(そうではない人らが大半なんだろう)と思う(し、実際に層観測している)。

 

私は票には色があり、お金には色があると思っている。日本の市井の人々を奴隷化して労働させ、そこで産んだお金の色は果たして本当に無色透明だろうか。それは本当に「労働の対価」なのだろうか。涼しい部屋でパソコンをいじっている間に、(同じ涼しさだって)冷蔵倉庫の中で15kgの段ボールを運ぶ方がよっぽど有用ではないだろうか。

 

「パンパンだって、夜の世界で働く人だってみっともなくたってそれでいいじゃないか」といえるほどの個人主義ではないけれど、その「みっともなさ」に一生触れなくて生きていけるほど裕福でもない。そう考えるといっそのことその「みっともなさ」をうまく内包する方法があればよいのだろうなと思っている。しかしそれは、転向ということであり私自身の宗教は死んでしまうんだろうと思う。

なんで生きてるんだっけ?

なんで生きてるんだっけ?って考える時、ものすごいマイナスな時とプラスな時があると思う。(大体の時はマイナスかも)

 

でも、なんで生きてるんだっけ?と思うとものすごい力が湧いてくると思っている。

 

そう。数日前に久々に考えて、今日、人生の大先輩と話して言葉にできた気がする。

この国を敗戦国から脱させるんだ。一等国にするんだ。と思い出した。

 

いつまで敗戦国根性で仕事して生活しているんだと。訳のわからん250年やそこらしかない新大陸の連中の足を舐めて生活しなければならないんだ。そういう決意のもと生きてきたじゃないかと思い出すことが大事なんだと思う。それが生きる力であり頑張る源なんだと思う。しかし奴らだって元々はヨーロッパから追い出されてきた負け組なのだ。それも100年も経てば大国ヅラをして我々に喧嘩を売ってきたじゃないか。俺たちだってもうすぐ負けから100年経とうとしてるんだから、そういう気概を持ってもいいはずだ。負け組の根性の奴らをさっさと転向させ叩き潰し、今一度奴らを見返してやろう。

 

そうだ。そう思って会社を作ったじゃないか。そう思って始めたのではないか。たとえその一歩が小さくても、結局何もできなくてもその意思はあって今、行動に移しているじゃないか。それを確固たる意思を持って人に伝え、広げんでどうする。

 

...とそんなことを思って久々に熱く話してしまった。

日本代表戦が好きだ

ワールドカップが始まった。サッカー日本代表戦が始まった。

WBCもオリンピックもネーションズリーグもサッカーやラグビーのワールドカップも好きだ。

 

遠い遠い国で日本の1億2500万人から選ばれた26人、それと監督をはじめとしたスタッフの皆様が肩を組んで国歌斉唱をしている時間が好きだ。

国歌斉唱のあと一拍置いて「日本!」とコールする時間が好きだ。キックオフまでの数秒の静寂の時間が好きだ。

 

朝眠い目を擦りながらリビングでみる日本代表戦が好きだ。オランダという強豪国を相手に5バックで守っている日本を歯を食いしばりながら応援する時間が好きだ。あんなに眠そうだったのに、シュートを1本打たれたら目が醒める日本人が好きだ。試合前あんなに日本代表に文句を言っていたのに試合が始まれば応援する日本人が好きだ。普段は赤色のユニフォームを着てオレンジ色のユニフォームを毛嫌いする人たちが、青のユニフォームを着て応援する人たちが好きだ。

 

飲水タイム、ハーフタイムに一斉にトイレに行く人たちが好きだ。Jリーグではトイレが混むからハーフタイムの5分前には行くと言うのに。

 

先制点を決められた時、あんなに戦術を語っていた奴がめちゃくちゃ悔しがるのが好きだ。評論家のようなお前も一緒に戦ってるんだなと感じるからだ。

これまでとは違って「先制点を決められても想定内」と言い切れるサッカーファンが好きだ。日本が毎大会強くなっているのを感じるし、国民が森保監督を信頼しているのが感じるからだ。

 

遠く離れた地での試合なのに応援歌が90分間聞こえてくるのが好きだ。浦和レッズの方が声が大きいよと言いながらも声を出し続けているお前が好きだ。

 

点を入れた時、実況解説の声が聞こえなくなるくらい叫ぶのが好きだ。見ず知らずの横のやつとハイタッチし握手しハグするあの時間が好きだ。家中が大騒ぎするあの時間が好きだ。つい、語彙力がなくなって「エグい」しか言えなくなるお前が好きだ。

 

選手交代の時、文句ばかり言っていた人たちに「今までとは違うぞ」と思わせる森保さんが好きだ。そして、「今までとは違うぞ」と考えを変えられるお前が好きだ。そしてお前の全力を見せてくれた祈る人たちが好きだ。

 

怪我をした選手を心配する人たちが好きだ。怪我をさせた選手にブーイングをする人たちが好きだ。良いファールをした時、よくやったとつい呟くのが好きだ。相手の良いファールの時は大声でカードだろと叫ぶのが好きだ。

 

失点した後や試合終盤、ピッチ内の選手の足が止まる中、大声でベンチから叫ぶ選手が好きだ。サッカーは11人で戦ってるんじゃないことが分かるから好きだ。サッカーはベンチ内外、選出されなかった選手、トレーニングパートナーとなっている選手、選手の親、子ども、奥様、子どもの時のコーチ、そして、スタジアムにいるサポーター、テレビで見ているサポーター、一億火の玉で戦っている気がするからだ。

 

忘れてはいけないのは、日本を応援してくれている外国人の存在だ。彼らが日の丸をつけて応援する姿が当たり前に好きだ。

 

だから私はワールドカップが好きだ。

走る

ジムに行ってHIITというランメニューをするのにハマっている。

これをクリアすると心が中学一年生の頃に戻った気がするし、その時の嫌な記憶に打ち勝つことができるからだ。

 

夏休み。初めて行った江東区にある練習場。家からとんでもなく遠かった。その練習場の最寄駅からも遠くて、その練習場は独特の匂いがした。2時間程度の練習が終わると急な集合することになった。もちろんその練習の中でも自分はとんでもなく下手くそで、部活の時間が早く終わって欲しいと思っていた...ような気がする。集合すると「ジュウビョウゴジュビョウ」というのをやることになったと伝えられた。確か...OBの方から伝えられた気がする。サッカーコートの短辺を10秒で走って50秒で戻ってくるというもの。だから...大体時速18km...くらいで走って、その後ジョギングして戻ってくる...50秒後にはスタートというそういうトレーニングだったと思う。20本くらいやったかと思う...そして最後5本は全員で10秒以内に入りきらないといけない。そうでないと本数が減らない。もちろん自分は間に合わなかった。そして自分のせいで、50人近くが7-8本多く走らされた。周りの目は冷たかった。当たり前だ。

 

ランニングマシンの上にいるとそんなことをいつも思い出す。それだけじゃない。リレーになれば自分がいるチームは負けて罰走になることが多かった。サッカーのミニゲームになれば自分のチームが負けて走らされることが多かった。自分のせいで友達に迷惑をかけていた。そんなこんなで、3年間くらいはいたけれどそのあとはその空間にいることに耐えられなくなって逃げてしまった。

 

遠い遠い記憶が蘇ってくる。常に最下位だった自分の、そして、そこから逃げた記憶が蘇る。だからランニングマシンに乗って、自分で決めたスピードから落とさないように...落としたらまたあの時と同じだ。また逃げる自分に戻ってしまう。そして最初に期待したものから落とさずにクリアできるとあの時の自分が、中学1年生の最下位だったスポーツ刈りの情けない顔をした少年が、よかったねと言ってくれる気がするのだ。

なぜなら、キモいから

もうすぐワールドカップが始まる。

世界最大のもちろんオリンピックよりも多くの国と地域が参加している大会だ。今大会くらいから私と同じ世代の選手がチームの中心となって(若手ではなく)参加している。

翻って私は今何をしているんだろうか、と思ってしまう。キラキラ生活している人たちがキモくて。明日のご飯のことを考えずに生活している奴が憎くて。気持ち悪いと思っている。大嫌いだ。

なぜ嫌いなのかといえば、自分もそうなりたいからでしかない。でも嫌いだ。キモくて嫌いだ。ありったけの悪口を浴びせたいけれど、ここでいうにとどめてしまっている自分は陰湿な教室の隅にある中学生のようだ。

今偉そうにしている人たちの椅子が全部吹っ飛べばいいのにと思う。なぜならキモいからだ。23区のビルが全部無くなればいいと思う。なぜなら嫌いだからだ。そしてキモいからだ。

時折、隣国からミサイルでも飛んでこないかなぁと思う。ペトリオットとかすり抜けて落ちてきてほしい。それでビルとか吹っ飛んだらいいきみだとおもう。多分ショックもくるけど同じぐらいスッキリすると思う。なぜなら、キモいからだ。

いや、それで命を落とすのはずるい。勝ち逃げだ。生きながらにしてその後の人生ずっと苦しむ何かになってほしい。なぜなら、キモいからだ。

ちなみに別にワールドカップは見る。サッカー好きだし。