変化しないクリスマス

今日は、クリスマス。町は賑やか、お祭り騒ぎ。

 

一年の終わりまで一週間。今年はすこぶる調子が良かった。

何より、前に進んだ年だった。

クリスマスは相変わらず、実家で過ごし、家族とケーキを食べた。こればっかりは、生まれたときから何も変わらない。

 

想起すれば、児童のころのクリスマスは夜も眠れないほど楽しみだった。いつしか、クリスマスの存在を忘れ、大学生になった。「大学生のクリスマス」は、一年体験してもうこりごりになってしまった。くそみたいに高いメシ、お経かと思うようなつまらない話、シベリアから吹いてくる風が渋谷の電飾が並ぶ洞窟を吹き抜けていた。

 

それから数年、家から出ないことを是として生きているんだが、なんとも心寂しいような、安心しているような自分がいる。人と同じことをしない寂しさと優越感は心の中で同居し、寂しさが負の力となり明日頑張る力をくれ、優越感が抱く希望を鮮明化する。

 

変わらないのは、食事相手だけではない、悩みごとも変わらない。24歳であるから、「志学」よりも「而立」に近いはずなのに相も変わらず、「志学」している。今のところ順調な社会人が一体どういうわけか収入を無くし、それどころか湯水のように金を使い大学院へ入ろうとしている。どの講座を受けようかなぁなんて考えてるのも小学生から変わらない。今年の正月はいっぱい(勉強)やって追いつくぞ!とか何回言ってるのかわからない。同年代から取り残されている気がする。

 

「来年には結婚を考えてるんだ」という同期にも、いまだ「独り」でいることの寂しさと優越感が同居する。いまでも令和の秋山真之になれると思っている自分と、そうではなく現実的な温かい家庭を早くから築ける人生を歩んでいる同期の間には信じがたい溝を感じる。まだ夢を追うことができている自分の幸せは、現実的な幸せを捨てることで得られている。と、いうわけでもなくて。それは某国際政治学者界のご夫妻を見ればわかるだろう。となると、やはり同時にこなせていない自分に腹が立つ。

 

そんな寂しさ、優越感、怒りを混ぜ合わせた玉虫色のクリスマスは今年も終わりを迎えた。やっぱり俺は「一人で」実家がいいや。