知識の独占欲と肥大化する他者影響欲のジレンマ

知識の独占欲と他者にどれだけ影響を与えることができるようになるか(肥大化する他者影響欲と造語した)の関係は、非常に相対する考えでありら人類のほとんどが当たってきた壁ではなかろうか。

例えば、三平方の定理(ピタゴラスの定理)は、おそらく幾何学ほぼ全てで使われている知識であり、人によっては初等幾何学以前に小学校算数でも使用しているほど、人々の基礎知識として定着している。しかし、この知識を秘伝とし全く誰にも伝えなかったらどうなっていたであろうか。しばらく(数年〜数百年)は、ピタゴラスの天下となっていたであろうがおそらく他の誰かが発見し、青天の霹靂のような時間として、いつの日か一般的になるのであろう。こうなってしまってはピタゴラスはただの三平方の定理を○○氏以前に発見したかもしれない人(有名ではない)となってしまい、他の誰かである○○氏が著名となっているのだと推測される。

したがって、知識の独占欲を求めるといつかそれより大きな大きな影響力を失うことになるのだ。

しかし、知識を独占しなければどうだろうか。知識を独占せず、すぐに他人に流してしまっては、四苦八苦して見つけたその解決法なり共通点なりを他人に簡単に模倣されることとなる。

この微妙なバランス感こそ、特許法の存在意義なのではなかろうか。いわば、「公益性を担保するため特許を申請しない」と良い風を吹かせているが実際は広範囲への潜在的影響力を持ちたいからである。何事も完全な模倣は不可能であるからして、知識を一般化する際の公益性とは、得てして当人の承認欲求の強さなのではないだろうか。つまり、知識の独占欲は他者からの依存を求める承認欲求に対し、後者は他者への影響力を持ちたいという承認欲求からきている。また、前者から後者へ行く際には不可逆的であり、自らへの依存原因を自ら消していく作業は、自分が自分として存在している意義を消す可能性を孕む可能性があることからも非常に移行が難しい。しかし、他者影響欲とは実は前者とは比べ物にならないほどの承認欲求を満たすものであり、それに気づくためにはこのジレンマをクリアしないといけないのだ。