COVID-19の流行と「〇〇バトン」の関係

昨今Instgramではストーリー機能を使った「〇〇バトン」というものが流行している。

 

これの理由について、わたくしの観点から粗雑に考察したのでここに記す。

 

結論から申し上げれば、「〇〇バトン」を利用し、承認欲求を満たすことに過ぎない。

 

人類は今COVID-19という未曽有の感染症に悩まされ、R0(基本再生産関数)を1未満にするための一環として外出の自粛が政府より求められている。その外出自粛によって我々は、行動の制約を大幅に課せられている。ここで、我々に与えた影響がどのようなものであったかを、マズローの五段階欲求説(自己実現理論)の切り口から考察する。

 

まず第一に生理の欲求。これは買いだめなどに走ってしまう現象の理由の一つで、生命の維持への危険性を感じてしまい行動するのだろうと考えられる。しかし、買いだめは情報さえ得ていればいたって問題ないことが分かるのであって実際には、すぐに収まったということは周知の事実であろう。

 

第二に安全の欲求。これは現在でも続いているマスクの買い占めをする原因の理由の一つであろう。またPCR検査の検体数の増加を求めてしまっている人々も同じ発想であろう。なぜ、日本が検体を増やしていないかについてはCOVID-19の特徴をご存知であれば理解できる。

 

第三に社会的欲求と愛の欲求。これは私のような実家暮らしであれば、最小の社会単位である家族に属しているため基本的には問題ない。しかし、交際相手が存在しておらず、一人暮らしの人は個々の部分の欲求が満たされない。そこで昨今のオンライン飲み会が盛んになっているのだ。友達の輪という社会に属していることが確認できる。つまり、一人暮らしにおいてこれを解決するためには、カップルで同棲するか、実家に帰るかしか、断続的にこれを得ることはできないのである。

 

第四に承認の欲求である。今回は個々の部分が我々にとって大幅に制限されてしあったのではないかと考える。承認欲求の大きさというのは各々違うものである。例えば、アイドルという職業になろうとする人は、承認欲求の感じ方が、非常に単純であるだけで会って、決してほかの職種の人より大きすぎるということはない(多少は大きいだろうが、、、)。彼女たちは、歌い踊り、特典会などの手段を使い各々の承認よっきゅを持たしているのである。非常に目に見えやすい形でこれが満たされるため、子供から成人まで、これにあこがれるのであろう。ただのサラリーマンであっても、役位に対して執着しているというのは、これに依存している。作家も、書きたいだけであれば自分お腹だけでとどめておけばを良いものを本として発刊するのはこのためであろう。このブログだってそうだ、わざわざ公開しているということは、私の承認欲求を満たすためなのである。

ここで、サラリーマンの役位は家にこもっていたところで変わりはしないが、承認欲求を行動に求めていた人たちは、外出自粛によって得る機会を失い、別のものに求め始めたのである。それが、前述した「〇〇バトン」や「〇〇リレー」をはじめとするチェーンメール方式のものとツイキャス、インスタライブ、showroomなどのコメント機能が存在する配信サービスなのである。

しかし、承認欲求を満たすためであれば「これみて!!可愛いでしょ」といいのせればすむのである。しかし、日本人特有なのか、もしかすれば世界共通なのであるが、これをストレートに表現することは汚らしいことであるとみられている。(アイドルがどうしても世間に浸透しないのはこれが原因であると考える)そこで別の手段を使ってこれを満たそうと考える。ダンスなどは格好の例である、ダンスは一人で完結し、一人で終えることは決してないだろう。必ず、その成果を誰かに披露するためのものである。しかし、イベントは軒並み中止となった。このように何かを他人へ誇示することが不可能になった現在、何らかの手段を使って誇示しないと自信の欲求が満たされない。そこで直接的ではないにしろ、承認欲求をみたす手段として「他人から回ってきたから」という理由付けができるチェーンメール形式で、自身のネットワークの誇示と、内容によっては「自撮り」による用紙が他人より優れているということの誇示や「身長」を発信することで女性であれば低いことによるかわいらしさ、男性であれば高いことによる格好良さを誇示することができるのである。またこれには副次的効果もあり、あえて回さないという選択をとることによって「自分は人とは違うんだ」という承認欲求を満たすことができるのであるから、これはどう転んだとしてもかかわった全員の欲求を満たすことができる。これが古の時代からチェーンメールがなくならないことの理由の一つであると私は考える。

続いては配信することについても、上記とほとんど同じ理由なのである。配信に関しては上記よりも直接的に「かわいい」「かっこいい」と言ってもらえる環境にあることが大きな違いであり、人によっては金銭ももらうことで安全の欲求も満たすことができるという一石二鳥にもなりうるのである。ここまでやっている人は、大変に自己承認欲求が強いのだなと思うが、それがこのコンテンツに対する参入障壁の高さであるといってもよいだろう。自己承認欲求の高さは、自己肯定感の低さの表れでもあり、自己肯定感の低さは成功体験の少なさの表れでもある。つまり成功体験をあまり積んでいない人間こそが短時間かつ容易に強烈な自己承認欲求を得ることができる、まさに麻薬のような動画配信コンテンツからは離れられないのである。

よって上記に挙げた二つのことは、家からでもできる簡単なの承認欲求の満たし方の一つであり、特に前者に関しては参入障壁の低さや、アレンジが容易なことから一時的に流行しているのだと考えられる。

 

最後に自己実現の欲求である。これは私が低次の欲求で止まっているため、実感ベースで記述することは不可能なのであるが、自己、他者、自然に対する受容という面においておそらくこの事態とは関係なく、この状況下の中でも適切な行動を経ているのではないかと察する。

 

長々と書いたが、このブログですら承認欲求を満たすものである。どの方法で承認欲求を満たしたとて、其れの善し悪しなどあるはずがないのだが、一番イタいのはそれによって承認欲求を満たしているということを自覚していないことなのだ。