勝率2%

718日に及んだ就職活動が終わった。

結果は3勝119敗。最後もまた、負けて終わった。

 

 

「中国本土での不明のウイルス」という報道があってすぐ、就活を始めた。2020年1月のこと。

元々五輪後ということもあり氷河期の懸念があったためということと、「なんとなく嫌な予感」の二つの理由から、急き立てられるように選コミュに応募したのを覚えている。

 

就活なんか俺にかかれば余裕だと思っていたが、夏までに応募したインターンのうち40社は面接1回目、GDレベルかその手前で落ちる。GDが13連敗というときもあった。それでも

「分かっちゃいないのは会社。俺が悪いわけない」

「グループメンバーの運が悪かった」

「面接官の質が低かった」

散々人のせいにし、そのまま冬を迎えた。

それでも数打てば内定は取れるもので、面接官と非常に相性の良かった1社に内定を決め、その後も数社から内定をいただき、ありがたく3年生の間に就活を終えることとなった。

 

地獄なのは4年になってからだった。周りの内定が気になり、就職偏差値、初任給、ネームバリュー、その会社のビル、何階に入居しているのか、散々調べ尽くした。1mでもその会社よりも低い位置にあると落ち込んだ。内定先が嫌いになった。早く転職しなくては「負けたまま」になる。1階でも上に、100円でも高いところに。強迫観念のように繰り返し転職サイトを見続けた。

 

秋、たまたまとった授業が某BIG4が提供している寄付講義で、そこではパートナーが授業をしていた。

何回かした後、別のパートナーはこう言った「受けたい人がいたら私に言ってくださいね。」

運命だと思った。そわそわしながら講義を受け、講義が終わった後、直談判した。

緊張して足が震え、何を喋ったのか覚えてない。

その後メールが来て受けてもいいことになった。

正直、この時点で受かったと思った。講義の後にパートナーに直談判する奴がいるわけない、その行動力でとってくれるだろう。そう信じていた。

Linkedinというサービスで強引に社員さんを見つけ、OB訪問をした。

用もないのに本社に2回も足を運んだ。「○○階-」と書かれたエレベーターの扉の前に立ち、来年の春はこれに乗るんだと信じていた。ビルの最上階に位置するところから東京を見下ろす光景を想像して夜も寝れなかった。

面接対策に200時間費やし、面接のメモは1万字に達した。計5人の社員の方、4人の友達と模擬面接などを繰り返した。

 

それでも、最終面接にすら辿り着けなかった。

 

僕は、見栄と戦い続けた。自分のプライドを守るため全力で戦った。

最後は神経痛で舌が動かなくなった。持病のアトピーは限界までひどくなり、会社名を聞くだけで嘔吐するレベルにまで追い込んだ。

 

俺は選んだフィールドで作業をすればなんでもできる、はずだった。ここでやると決めた勝負には必ず勝ってきた。今回も勝つ、はずだった。

 

僕は作業の方向性を間違えた。おそらく作業の量も足りなかったのだろう。それは付け焼き刃の対策ではなく、20年間の積み重ねで。

 

だから努力をしなかったと言える。

 

選んだフィールドも間違えてなかった。

運が悪かったわけでもない。

孤独な戦いだったわけでもない。

 

ただただ、努力をしなかった。こんなに「自己責任」というワードが当てはまることもないだろう。