今日のTBSラジオ「ハライチのターン」での岩井さんの言葉だ。
以下ラジオでの発話。(一部省略)(うろ覚え部分は間違えている可能性)
「俺らはM-1で優勝できる漫才師じゃないんだ。
15年かけてわかった。
俺らは新しいパターンの漫才を作り続ける。
(中略)
俺らは漫才じゃなくて、M-1をやっていた。
これがなくて終わった芸人人生とこれがあった芸人人生は大きく違うような気がする。(略)
これからハライチの漫才が始まるんだ。」
今年はテレビ画面の前で祈るようにネタを見ていた。敗者復活戦のネタが始まった途端ハライチの凄みに涙が出てきた。
明らかな新ネタ。それをぶつけてくる岩井さんの勇気と完璧にこなす澤部さんの技術。プロとはなんたるやを見せつけられたように感じた。
だが、本当に見せつけにきたのはここからだった。
敗者復活上位3組が選ばれた時の岩井さんの顔。あの顔ほど「漢」の顔はないだろう。
そしてその後の決勝のネタ。場を支配していた。会場を、お茶の間を。
結果が出た後の顔とコメント。あえて文字にすればチンケになろうと思い書かないでおく。
我々は35歳の本気を見せつけられた。(その後に50歳の本気を見せつけられるのだが...)
僕は、その直前、人生に絶望していた。
自我が芽生えてから十数年。ただひたすら「いい会社」に入るためだけに何かしらの行動を選択してきた。
自分はやれば何でもできると思っていた。
そして何より「本気で挑戦した結果、ダメだったと告げられること」への恐怖で支配されていた。そして、たまたまの巡り合わせでとある企業を受け、落ちた。
本気で挑戦した ー少なくとも本人はそう思っているー はずだった。
でも結果は、箸にも棒にもかからず。
3年での逃げの就活のあと、4年になっての運命とも言える出会いとたった50日間の就活。
「特別に受けてもいいよ」なんて言われた日には、まるで自分が物語の主人公かのように感じたものだった。
落ちた翌日がM-1だった。
敗者復活で、それもラストイヤー僅差で1位に上げられた。しかし、即ダメだったと知るハライチと自分が重なった。
その後、毎日毎日「お祈りページ」を見ていた。いつかその文字が変わってくれないかと信じて。実は見間違えだったのではないかと信じて。
そして今日。1ヶ月半ぶりにハライチのターンを視聴した。そして、冒頭の言葉に戻る。
彼らは
「M-1で優勝できる漫才師」ではなかった。
そして、僕も、
「新卒で勝ち上がり、順風満帆エリートコース。若き日本の救世主としてこの世で羽ばたくサラリーマン」
ではなかった。
彼らは点数で表され「9位」と表示されたように、僕は「お祈り」がマイページに表示された。
これから、彼らは「漫才」をする。僕は、、、
僕はまずはそこから考えなければならないようだ。しかし、M-1の経験が彼らに与えた影響は大きいように、僕もこの50日は大きな影響を与えるだろうと思う。やらないで社会人になったのとやって社会人になったのとでは大きく変わったのだろう。そう信じて。