或曰以徳報怨何如。子曰何以報徳。以直報怨以徳報徳。

負の感情は諸刃の剣である。

それは人を強くし、そのきっかけと継続する理由を与える。

そして、それは長年の人間関係を壊し、血縁でさえ免れない。

 

21歳、若者特有の尖りが捨てきれていない年頃の僕には、薄い人間関係がうっとおしく感じる。こんなもの濃くなりようもないのに、、、などと思ってきた。しかし、ここ1年で突然、これ以上濃くなりようもない人達とは途端に別れたり、場合によっては敵対関係になった。18歳の私に「身内とは書面を通じて話すことになる」といったところで、一体何を信じることができようか。

 

そうして僕はドラマで見ていた世界のその当事者となった、それもカットの無い現実世界で。親しい人を間接的に殺害された僕には憎しみと恨みをもった負の感情が起こった。その後も、同じ者に母を罵られ、その感情は増大した。その者が平和に生きながらえていることが許せないとすら感じた。怒りは瞬間の感情で、数秒耐えれば消えるといわれているようであるが、僕には永久にあり続けるように感じた。

 

それでも父は言った、「憎しみの感情は無駄だから捨てろ」「人間関係はゼロ・サムゲームじゃない」なんども諭され、数年ぶりに説教を食らった。それでも僕は収まりがつかなかった。やり場のなくなった苦しさで何人もの人を傷つけ、お世話になった人に恩を仇で返すことになった。関係のない人たちをたくさん傷つけ、大切なものを失った。こうして負の感情の原動力は、その負の側面を余すことなく見せつけた。

 

時間が経つとその感情は徐々に良い側面を見せてきた。人生を押し上げる原動力となった。高校生以来に体を動かし、庭の手入れをし、勉強をする。適度に昼寝をし、余計な情報は見ないようになったものの適度に遊べている。僕の理想とする毎日を送ることができている。これも人生の全体価値を大きく向上させ、金を稼ぎ、そいつよりも絶対にいい人生を送ってやるというものの具体的行動に過ぎない。

 

孔子は言う、恨みのあるものに正しさで報い、恩徳を施してくれたものに、恩徳をもって報いるのがよい、と。僕には強いてこれが理解できるのみで、老子やこの質問者のように以徳報怨とはならないのが若さ所以のことなのだろうか。すっかり儒家思想の身についている僕にはなかなか理解のできない道家思想ではあるが、徐々に理解できてくるだろうと信じて、庭の草を抜く。