名を捨てて実を取る

この言葉は肝に銘じなければならないと思う。「名」が大事な時なんて、強いて言えば、女の前だけだ。とある仲良くさせていただいている方と「ついついチーフとか役職名にとらわれてしまうんだ」という話をされた。男であれば(最近はあまり男女関係ないらしいが)地位や名声の一つや二つ欲しいものだ。もちろん僕だってその例外ではない。しかし、「いつ」「どの」地位が欲しいか、は確実に他人とは違う自信がある。40代で、いや50代で勝てれば良いと思っている。ここにターゲットを合わせるのには理由がある。50代、つまり人生で能力のみにおいて勝負せざるを得なくなりはじめたとき、人生80 年、100年と言われる中、残りの30年、50年を惨めに過ごしたくないのだ。人生の40-50%は50代以降で占めるわけであって決して若さのうちに勝負なんて、数時間しか咲けないアサガオのようなもので無駄としか思えない。

では次に今、「実」を取っているのかというこたである。「実」は簡単に言えば「金(かね)」の方であると考える。全ての価値は「お金+時間」で測れると思っている。お金では買えないよなぁというもの全て時間で解決できる。そして基本的に時間は金で買える。例えば10時間で5000円の深夜バス。2時間半で13000円の新幹線。後者を選んだ僕は7時間半を8000円で買ったといえる。また、時給1000円の仕事をするとする。自分の能力と身体を1時間あたり1000円で売っていると考えていい。つまるところ自身の価値は1000円/時ということだ。時給が自分の価値なら自明に年収は自分の価値だろう。よって年収n万を目標にすることは単純に金が大好きというわけではなく、「自身の価値」向上の目標でもあると思っている。

さて、「自身の価値」というものについて少々述べてみたい。価値は金と時間で測れると先ほど述べたが、もちろん価値の向上にも金と時間が必要だ。価値が高くない今の自分には限られた金しかないが、時間というのは、どんな人間にとっても同じ分量だけ与えられていると考えて良い。長生き、短命で変わると思う方もいるだろうが、長生きか短命かは死ぬ時になってみないとわからないのであるからして今回の話題では、最大量が分からないという点でも同じ分量といえるだろう。限られたお金と時間から価値を創出し、そこで獲得された価値によって金を生み出す。「価値によって得られた金」によって得られた価値で金を生み出す。といった好循環が生まれる。こうして自身の価値向上をしていくのだ。正確に言えば、そうして行きたいと思っている。つまり「実」をとる生活をしていきたい。年の初めに思ったことでした。