原風景

原風景とは人の心の中にある原初の風景。とされていて懐かしい感情を伴うものである。

理屈をこねまわすのが趣味なので申し訳ないが、懐かしいとは一度経験したものに対してのみ使用できる感情表現なのである。

ただ原風景の定義には心象風景も含まれており大変矛盾を孕んだものでとても興味がある。

 

さて、我々日本人が思う原風景とはなんなのだろうか。とりわけ東京大都市圏で暮らしてきた我々の原風景はどこにあるのだろうか。聳え立つ巨大ビル群や陰気な雑居ビルではないはずだ。では閑静な住宅街が原風景なのだろうか。違うはずだ。おそらく、あえていうのであれば「東北の散村」(東北をバカにしているわけではない)ではないだろうか。家は平家。縁側には風蘭がぶら下げてあり、冷たい麦茶を飲む。家の駐車場には軽トラとトラクターがあり、近くの田んぼや畑は緑鮮やか。近くには裏山があり、綺麗な小川が流れている。少なくとも僕の原風景はこれで間違いない。ただ、僕の実家は埼玉で、平家でもなければ、裏山に小川もなく、軽トラは持ってもいないが。そして、決まって季節は夏なのである。

 

なぜなのだろうか。僕は、原風景こそが文化だから、だと考える。つまり、原風景とは我々大和民族が脈々と受け継いできた風景なのである。それは平家ではなく掘っ建て小屋で、トラクターではなく馬であったかもしれない。しかし、簡単に言えば現代風にアレンジされ、我々の心の中に住み続ける「絵」としてこれからも受け継がれていくのであろうと思う。たとえ、日本から木が1本もなくなったとしても。

 

と、ベランダで飲みながら書いているわけだがそろそろコップの中もなくなってきたようなので、この辺で。