園児が道を渡ること(メモ)

幼稚園カリキュラム内散歩において「道を渡る」という瞬間は極力これを減らしているにせよ往々にして起こりうるものである。

私はそれを青山付近でその瞬間を目撃したのであるが、少々興味深いものがあったのでここに記す。

幼稚園児は約15人程度、そこに引率として参加していた先生は3人。つまり前後1人ずつ、道路側の脇に1人いた。

園児がT字路の縦棒の部分から横棒の上部へゆき、左に曲がるという算段であった。

さて、ここで先生が「ささっと渡りましょう!」とだけいう。我々の年齢であれば(おそらく道の反対側へ行き、先頭の先生は道の反対側で、左の腕を上げているからおそらく右へ曲がるのだろう。ささっと渡るということは多少の交通量がある可能性があり、かつ現在は2列で整列していることからもこの列を崩さずに渡らなくてはならないな)という極めて複雑な「空気を読む」行為によりこれを粛々と遂行する。おそらく、前の人の言った方を自分の意見として繰り返すような空気の読めない阿呆にはできないだろうがこの世の99%の人には理解できるであろう命題である。

しかしながら、これが幼稚園児にできるであろうか。

わざわざ記事にしたということは、出来なかった惨状を目にした訳であり、結果としては極めて(幼稚園児としては)妥当なものであった。列を抜かす者、道の真ん中で止まる者、先生の身振りのみを真似する者...

「ささっと」という極めて抽象的な言葉からのみ得られた情報を得てそれを各々のバックグラウンドに応じて体現したのである。

 

ここで、先ほどの我々の空気を読む行為を分解してみることにする。

①道の反対側へ行き、

②先頭の先生は道の反対側で、左の腕を上げているから

→おそらく右へ曲がるのだろう。

③ささっと渡るということは多少の交通量がある可能性があり、

④かつ現在は2列で整列していることからも

→この列を崩さずに渡らなくてはならないな

 

思考をモデル化する。

①類似した状況下での過去の行動からの推測

②状況においての優先順位をつけて把握する

→対象者の思考を斟酌する

③④擬態語から現在または近い将来の状況を予測する

→その状況に対する適切な行動を起こす

 

ここまで複雑化したステップを踏んでいると普段は全く意識しないわけである。先ほども申し上げた通りこれらの思考を総称して「空気を読む」ということになる。

つまり「あいつ空気読めねぇな」ということに関して我々はその彼(もしくは彼女)が空気を読めていないことに対して、どのステップの思考が我々と違うのかについて分析し、それを取り除くことにより彼を救うことができるのである。例えば、グループディスカッションなどでまず行われる「前提確認」とは思考レベルの低い者を、我々のレベルへ引き上げる動作であるということを意識すれば良いと考える。こうすることによって「空気を読む」というこの複雑な思考の対象物が抽象的なものではなく、具体に落とし込むことによって、空気を読みやすくするということなのである。

我々日本人が得意とする「空気を読む」ことは、ここまで複雑化した思考なのであり、「空気」を常に意識することこそがまさに日本人的思考なのではなかろうか。