研修はなぜ偽善的なのか

(新卒)研修は多かれ少なかれ偽善的であるように思える。その主語が大きい故は自分が知っている会社の研修はどこもそうであるから。

 

その理由を考えてみたいと思う。そう、殆どの研修で習うだろう「ロジカルシンキング」とやらや「仮設思考」を使って。

 

ジャストアイディアから申し上げれば

「宗教だから」

 

 

会社の利益を端的に表すとすれば

単位人あたりの利益×社員数

となる。つまり株式会社としての至上命題は株主価値向上であるから、

・一人当たりの利益をあげる

・社員数を増やす

(ただし現在地単位あたり利益がマイナスでないとする)

 

である。

こうなった時「社員数を増やすこと」はつまるところ採用活動、引き止めであるからさておき。

 

・一人当たりの利益を上げる

はどのようにすればよいかである。

 

これは業態によって異なり、

製造業のような資本集約型であれば如何に仕組みを作るかに重きを置き、

コンサルのような労働集約型であればより"理想的"な人材を確保することに重きを置く。

(もちろん、資本集約型に移行する方が会社としては安定し、拡大しやすいため仕組み化はするのだが)

 

では資本集約型ではどのような人が求められるのか。

仕組みを作る人orその仕組みに乗る人の2種である。

一般的に仕組みを作る方が仕組みに乗るよりも難しいとされる。また、仕組みを作る側より乗る側は人数(量)を必要とする。

これが一般企業の総合職採用と地元採用である。

前者に対しては部門ローテーションを始めとし、45-55のおよそ10年間を支えるために永遠と長い長い研修が行われる。しかし、その10年間は仕組みを作る側になることで莫大な利益を上げること(できれば、の話だが)ができる。

 

(若干話外れるが、この長すぎる投資と少なすぎるリターンに辟易し、「仕組みを作る人」を外注していることが今のコンサルティングブームなのではないかと思う。だから高級派遣と言っても差し支えないと思っている)

 

地元採用は簡単である。とにかく安く、最低限度の能力でいい。彼らはおおよそコストにしかならないからである。彼らは「かかってしまうどうしようもないコスト」なのである。彼らがいないと成り立たないのではあるが...

 

さて、本題の労働集約型である。

労働集約型は「理想的な」人材を必要としている。

・安く(長く)

・利益を上げ続ける

人材こそ理想的な人材である。

 

安い=長いは実質同義である。昇給させる方が新しく採用するよりよっぽどコストが低いからだ。この2つを兼ね備えるのが「宗教的である」ということだ。宗教は採用から始まる。長く続く面接に、無駄に褒められる内定者、意味のない高すぎる倍率。

 

そして何より

 

「入社おめでとうございます」

 

だ。

実は会社側としては「入社ありがとうございます」が正解なのである。我々労働集約型の社員は利益を産む鶏であり、鶏が居ずして卵は生まれない。しかし、これでは我々が逃げてしまう。だから、檻を作って逃げないようにする。もっといえば檻がなくても逃げないようにする。それの最も効果的な施策は宗教的にすることだ。

 

とはいえ、利益を上げてもらわなくてはならない。数ヶ月で人材を育てることなぞ不可能だ。

それが仕組み化である。どこがどう仕組み化しているかなぞ、自分がここに述べるまでもあるまい。

 

故に労働集約型の産業従事者の研修は宗教的なのである。

 

 

おわり。

 

 

 

最後の中流階級より

私の周りは「持てる者」が多い。持てる者は自らを「持てる者」であると自覚しながらも周りにはそうではないかのように振る舞う。

正直言って

 

嫌いだ。

 

いや、羨ましい。喉から、胃から手が出るほど。

 

 

朝、家から駅まで自転車を立ち漕ぎする時。

昼、電車で香水の強い女性の隣に座る時。

夜、飲み会帰りの酒臭い大声を浴びる時。

 

否応もなく、自らが中流階級かそれ以下の自覚をさせられる。

 

死んだような顔をしたサラリーマンの群れに紛れ、自分だけはそうではないと言い聞かせ、格好つけて本を読んでみる。背伸びをして買ったその本は読み進めるのにすら苦労する。

 

僕の友達は余裕で読めるようなものを、一つの式、一文ずつノロノロと読んでいく。彼に追いつくなんて夢のまた夢だから、せめて話せるくらいに、と。

 

社会に出る前のほんの少しの隙間は、今の私にとっては先のない永遠の谷に感じる。

 

22歳の今

無限に見える時間は無限の可能性を生むと思っている。

無限の可能性は無限のリスクを負う。

無限のリスクは無限の不安を抱える。

 

後2週間で社会人。モラトリアムからの脱却への苦しさと戦う日々になりそうだ。

主権か生きる権利か

今次ウクライナ=ロシア戦争に際し、ゼ大統領の総動員体制、徹底抗戦の姿勢には賛否が分かれることとなった。

 

もちろん、私がウクライナの判断に対し、何か評論する立場ではないことを承知の上で、仮に日本で「他国の実力部隊による合意なしの現状変更」があった場合に私たちはどうする(べきな)のか、について素人なりに考えてみたい。

 

第二次世界大戦時の国家総動員法と比べようとする者がいるがそれは大きく間違えているといわざるを得ない。侵略戦争をする際の総動員と国家存亡の危機に立たされた際の総動員では状況や意味が違う。

 

これまで主権が損害された国がどのような運命をたどり、国民がどのように蹂躙されたかは過去の歴史を少し学べば知ることになるだろう。その状況になった時、国民の生きる権利は、紙よりも軽んじられ、文化は永遠に消えることになる。アジアやアフリカの多数の国が自国の言葉で高等教育を学ぶことができない現実をみればどれほど損失を与えられ続けているかが十分に理解することができる。

 

他方で、今次戦争を見る限り、なくなっているのは10代20代の兵士が主で、若者の命が「損耗」していっているのはこの世の地獄である。未来ある若者が、戦場で命を散らすのは非常に残念なことのほかない。また、民間人も多く巻き込まれ、ニュースでは1歳半の男の子が爆撃で亡くなったという報道が流れていた。避難していた母子を迫撃砲で撃っていた、ただ通りかかった老夫婦の車が機銃掃射される、ただ過ごしていたマンションにいきなり巡航ミサイルが打ち込まれる、目の前で流れる動画を同じ世界のことだと思うには時間がかかった。シリアやアルメニア、アフガンでも同じ映像をさんざん見てきた。過去のさかのぼれば、ベトナム朝鮮半島でも同じ光景を見た。これ以上無垢の市民、若者がなくなるのであれば、戦争などさっさとやめて降伏するほうがいい、という意見になるのも頷ける。

 

確かに、どちらの意見も正しい。おそらく正解はない。しかし大局的に見たとき、前者が正解であることは違いない。なぜなら ー誤解を恐れずに言えばー 後者はたった多くて「数百万-数千万の損耗」で済むからである。文化が消え、人権が蹂躙されることは、回復され得ない傷なのである。もしくはその民族は永遠に地球上から消え去ることになる。生きている物のアイデンティティを含めすべて奪っていくことになる。もっと言えば、過去生きていた人々の記憶もまとめてなくなる。もちろん、若者や民間人が亡くなることで、負の記憶は続いていくかもしれないが彼らは祖国を守った英雄としての記憶になる。

 

日本の若者の男性の多くが、仮に日本で「他国の実力部隊による合意なしの現状変更」があった場合に自分はどうするのかを考えたことだろう。従軍するのか、逃げるのか。その場面になった時、おそらく圧倒的に前者の圧力が働くことは間違いない。従軍しなければ非国民扱いされる。メディアは国家のためと叫ぶ政治家のためではなく、大事な人のために筒をとる国民の多さに驚くだろう。「その時」のために心の準備くらいできる。

炎上PJノ消火活動二関スル記録

※今回の記述はあくまでフィクション

※実在する団体並びに個人とは一切関係がない

※あくまで私個人が後程見返すために綴る記録。悪しからず。

 

【前提】

・2月末に行われるイベントの遂行をするプロジェクト。

・4年を期限として団体から去る。この団体の資本は株式会社Xが100%保有し、この団体実際に支配しているのはこの株式会社X。(自治体が100%出資している財団法人の関係に近い)

 

【登場人物/団体】

・株式会社X

・社長:A氏

イベント創設期からかかわっており、この団体に関する100%の意思決定権を持つ。朝令暮改は日常茶飯事で、信用度は極めて低い。野心は強く、金銭的な執着も強い。最近は関連別事業へ興味が移り、このイベントの関心度は極めて低い。

・イベント担当:B氏

最近入社したと思われる。学生時代に出演側としてかかわっていた。社長には、一切意見の具申ができないほど逆らえない。

 

・団体

・団体トップ:C氏

おそらく2年目。将来有望との触れ込みがあったが、実際にはそうでもない。(主観)自分はできると思っている。周りを見下しているが、それ以上に周りに見下されていることには気が付いていない。懇意な関係の人物が数人いる。

・ユニット長会議

この団体の意思決定機関。現状、無力化されている。構成員のコロナ禍におけるイベント経験の無さに加え、実行委員長の求心力の低下など、ここでの決定事項は意味をなさない。

・技術ユニット長:D氏

おそらく2年目。このユニットは専門的な知識が要求され、花形ともいえる。このユニットの長は各技術専門家たちとの綿密なコミュニケーションとそれらリクエストへ間断なく対処が求められる。D氏はプライベートな環境に課題を持つ。

・技術ユニットメンバー:E氏F氏

おそらく3年目。ほぼ二人で「一体」である。しかし、お互いが完璧な意思疎通ができているかというと疑問符が付くが、凡そしっかりとすみわけができている。

・ジェネラルユニットメンバー:私

4年目。元ユニット長。このユニットは専門的な知識というより、PM的な役割を務める。そのため、小規模イベント時には役割は限りなく少なく、今回の大規模イベントの時のみ各情報の整理が求められる。ここ2年は新型ウイルスによる大規模イベントの中止でこの経験がない。

 

【2022/1/6】

・数年前に比べ、ユニット長会議の質低下がみられた。しかし、特筆して何か問題がるわけではなく、凡そ個々人の若干の焦りの無さからくるもので、時間が解決すると思った。そもそもの会議の経験不足はこの団体ではよくあることで、冗長的な話が多いのも、敢えて指摘するほどでもなかった。

・イベント担当B氏の過度な介入が気になっていた。針小棒大にいうことで、会議の進捗を妨げていた。自らが「上」の存在であることをアピールするためであると推測したが、それだけであればそこまで重大な問題ではないので無視した。

・そのため、現役メンバーに基本的には任せ、イベントの詳細な運営に関する会議(会議①)及びイベント当日のみの参加にしようと決めた。

 

→この時点で決定プロセスに対する不安を感じることができたはずだった。完全な私の見落としである。

 

tips:会議の質は組織の質。

個々人の質を見極めることは不可能だが、組織的な能力を見ることができる。ただし、外部の者が参加するということで、実際以上の能力を発揮(もしくはその逆)している場合もあり、「進行方法」「議事録の方法」など、仕組み面と「全体的な空気感」という経験に基づく定性的なものの2点から把握することが望ましい。

 

【2022/2/1~3】

・会議①の準備をするために情報の収集を始める。

・この時点でイベントに対する共通理解がないことを把握するが、新型ウイルスによる理由で決定が遅れていると思っていた。

・PJの実際の実行部隊とユニット長会議のメンバーがほとんど一致しないことに一抹の不安はあったが、昨年、同規模類似イベントの実績により、問題意識はなかった。

・団体トップであるC氏の影が薄く、例年であればこのイベント概要を定め終わる時期こそ、ほとんど最後の山場になってくるにもかかわらず、登場しないことに若干の不安を覚えるが、私が知らないだけで「ほどんど決まっているので」やることがないだけであると推察。

 

 

→この時点では組織に問題があるとはほとんどわかっておらず、かつ技術ユニットに対する危機感を全く抱けなかった。しかし、実際にはユニット長会議参加者の大多数は、C氏に対する不安はすでに抱えており、落下傘的に降りた私にはそれを把握することができていなかった。

 

tips:Day0に相手の組織を把握する。

特に力関係や、パーソナルな部分を中心にインタビューをすること。肩書や学歴などは一切参考にならない。プロジェクトの成功はDay0にあるといっても過言ではない。「実質的な再生案件」であるという認識を持ちクイックアプレーザルを実施、再生可能性を含めて検討しなければ「必然的な炎上」につながる。

 

【2022/2/4~6】

・情報が出てこない原因がイベント担当B氏にあることが分かる。不足情報のほとんどをB氏が持っていた。しかし、この団体の窮境要因がB氏にあることは本人は自覚しておらず、B氏は団体トップC氏に窮境要因があると考えていた。

・C氏は「何もしていない」だけで直接的な窮境要因にはなっておらず、全体の士気を押し下げるという間接的なマイナス要因として存在しているだけだった。

・技術ユニットの特殊性から、ユニットメンバーE氏F氏にはあらかじめ情報の吸い上げをお願いしたところ、この時点でE氏F氏が何も把握していないことが発覚。つまりD氏は何もやっていないor情報を秘匿しているの二択が考えられた。

・またここで行われた会議①に技術ユニット長D氏が出席できず、このままだと立ち行かないことから、やむなく解任の提案をすることにした。ここで、急に団体トップC氏、イベント担当B氏は以前からD氏に関する不安を抱えていたという告白をした。つまり、技術ユニットというイベントの中心であるのにもかかわらず、問題を放置し続けていたということである。また、解任の連絡も彼らはせず、私を通してさせたことから、B氏C氏の両人には「任命責任」の概念は特になく他責思考であることが分かった。

・団体の末端メンバーどころかユニット長会議のメンバーですら危機に気が付いていない人もいることから、本格的に組織が崩壊していることにやっと気が付く。技術ユニットを外部から実質的に統括する方(G氏)と連絡をとり状況を伝えたところ、凡そ同じ見解であることが発覚。危機意識が共有できる人物が見つかったことに一安心。

 

→B氏が窮境要因であることにやっと気づく。遅すぎた。これまでC氏が窮境要因だと考えていたが、彼はもうすでに意思決定から遠ざかっており(適切かはさておき)、それにすら気が付いていなかった。組織の意思決定構造は正確に把握しておくべき。また、「実質的な」意思決定はどこで行われているかを確認することが組織構造を確認する際には大事。

 

tips:実質的な意思決定の場と「本来の」意思決定のばは違う

最後まで本来の形にこだわり続けてしまうという失態を犯したが、早く見切りをつけ、現実にあった意思決定フローを構築し、それを徹底させる。

 

【2022/2/7~2/10】

・この間にスタッフ各位から団体トップC氏に対し懲戒動議が出されており、イベント担当B氏、社長A氏との三人の会議がもたらされるが、変化は特になし。

・懲戒が既定路線だと考えていたスタッフ各位は士気が下がる。またここからイベント担当B氏の主張が強まる。イベント担当というより、1スタッフとしての動きに近くなり、内部の政治的な指揮系統が崩壊する。(実質的な意思決定は私が行っていたが、ここで形式的な意思決定ですら崩壊することになる)

・B氏はより一層団体トップC氏をスケープゴートにしようとし、C氏もまたそこになすすべがない。

 

トップダウンでの組織の改善に失敗する。この原因は会議参加者のうち、3人中2人が組織の窮境原因である人物であり、社長A氏は実務にはかかわっておらず、そもそも会議が成立していなかった。トップに近いマネジメント層に腐敗の原因がある場合、マネジメント層での解決は不可能であり、実務から離れた層が判断をしなければならなくなる。この時の判断はスタッフにヒアリングするなど、スタッフ層を含めて意思決定をするべきだった。私自身も、A氏の大岡裁きに完全にこれら問題の解決を委ねており、大きな過ちであった。

 

tips:マネジメント層の腐敗の改善は難しい。任命時に厳格に判断することはもちろんのこと、その後の改善は早く、そして改善する際はスタッフにヒアリングを。

 

 

【2022/2/11~2/14】

・ここでイベント会場との会議がもたらされるが団体トップC氏は出席せず。イベント担当B氏は事前に資料を全く送付していないことや、提出書類の不備、視認性を度外視した紙媒体資料など、社会人としては残念極まりない内容であった。G氏と私が主に実務的な内容をすり合わせることになった。

・また、12日ごろB氏C氏ともに全く連絡が取れない時間が半日以上続いたため、その状況を社長A氏に報告、直接やりとりし、期日に迫っていた堆積していた意思決定事項を進める。

・再度G氏に現状を報告し、B氏C氏の実質的な機能不全の現状を共有。そもそも現状の内容ですらきちんとステークホルダーに共有されていない可能性があるなど、考えられ得る最悪の現状を想定し、G氏は技術ユニットについて、私はその他の範囲について前団体トップなどへのヒアリングを通じ、現状の確認と課題の整理を実施した。

 

→前項と同じ感想。

 

【2022/2/15~20】

・イベント担当B氏の主張の伸長は続き、C氏は実質的な意思決定から完全に姿を消した。

・私が考え得る事象についてひたすら各スタッフを追いかけるという正常な意思決定、スケジュールとはかけ離れた行為を120時間程度ひたすらやり続けることで、イベント一週間前までにある程度の形を作ろうとした。

 

→後から考えればここからB氏C氏への不信感から低下し続けていたスタッフの士気はこのあたりが底だったと感じる。また、経験不足なども相まっていたのか、スタッフの質は相当低く、能動的に動けるスタッフは2人、受動的にすら動けるスタッフは片手で数えられるほどもいなかった。(スタッフ自体は20人強)

 

tips:スタッフはあらかじめどの程度の能力なのか、何が得意なのかはおおよそ把握しておくべき

 

【2022/2/21~2/27】

・ここからはほとんど意思決定は私の手元で行われるようになるものの、イベント担当B氏のフローを無視した意思決定は続く。

・主に私の作業はB氏が(意図的になのかは不明であるが)秘匿している意思決定事項を引っ張り出し、各位にコンセンサスを取り共有する作業を続けることになる。

・技術ユニットの遅れが若干気にはなっていたが、致命的な遅れではなく、G氏にお任せすることにする。

・2/26時点で資料はほとんど出来上がっておらず、とにかく「人」「モノ」をそろえることのみに手中することを決定し、スタッフに伝えるものの、翌日まで動いていないか、およそ完成からは程遠いものを「完成」とするなど、QCDのすべてを満たしていないのが今の組織の限界だった。

・2/27時点で早々に団体トップC氏が帰宅する、イベント担当B氏が全体の進捗を確認するわけではなく目の前の作業に集中しているなど、今回の様相を象徴する出来事が次々に起こる。

・スタッフが「確認済み」としてあげてきた資料は崩壊しており、備品も用意されておらず、会場入り6時間前に、マネジメントとしての作業ではなく、スタッフレベルの作業を一人で行い完結しなければ間に合わないとし、作業を開始する。作業自体は4時間程度で完了した。

 

【感想】

最終的に消火できたとは言えない。端的に言えば、消火しきれなかったのは私の能力不足であった。ここに書かれたすべての事象は前もって防ぐことができたはずである。途中から記述が薄くなっているように、目の前の火を消し続けていたらイベントの当日が来てしまった。途中からは戦略的に(戦術的に)消火する、もしくは防火することができなくなっていた。ある程度までに組織の意思決定構造を掌握できなかったことにすべての原因がある。

あえてここでは記述を避けるが結果の出来は言うまでもない。なんとか成立させたとみるのが限界の評価だろう。しかし、彼らの反省を見ると団体トップC氏、イベント担当B氏の両方が反省項目が空欄であったり、各スタッフの反省項目が瑣末な出来事しか書いてないなど、同じ轍を生むことになるのは容易に想像できた。

この団体の今後を知る由はないが、今後別の場でも起こり得る事項が多分にあり、それを経験値として社会に出る前に収穫できたのは大きい。一か月間の隙間時間で得た経験としては、非常にコスパがよかったのではないか。別の場ではここに収益責任も問われてくる。次回以降は必ず消火し、防火策を講じることができるようにする。

もはや「銃後」ではない

もはや戦後ではない

 

1956年の経済白書に書かれた言葉として、今日よく知られた政治用語の一つである。

今日現在、私たちの時代はロシアのウクライナとの開戦により新たな時代に確実に突入したと言える。実際にそうなったのは米軍のアフガニスタン撤退か2014年のクリミア侵攻か、それは未来の歴史の授業で明らかになるだろう。

 

その時代とは「ポスト『ポスト冷戦』」だ。冷戦とデタントを「冷戦」、そこから中国の台頭で「ポスト冷戦」、そしてこれからのポスト「ポスト冷戦」に大きく分けられると考える。無論、中国の相対的な地位低下が見込まれるわけではなく、我が国の安全保障的な危機は全く去っておらず、危機はより一層高まっていると言える。

 

戦争は近くてベトナム、遠くてシリアなどの中央アジアから中東にかけて「米軍」がどこかの「組織」と戦っている時代は終わりを告げた。広義的な「銃後」の役割を果たしていた日本は強制的に我が国が前線であったことを思い知らされた。

 

そもそも自国の領土が不当に他国に占領されている唯一のG7構成国であり、第一列島線として中国に最も近い自由主義陣営国である我が国は最前線でないはずがない。

 

戦後、長らく見ていた話し合いの夢から醒める時がきた。昨日まで戦場でなかったとしても、5分前までバラエティ番組が流れていても、1秒までSNSが機能していても、我々の目の前にミサイルが降ってくる可能性がある。いざとなったら守ってくれるのは、ジュネーブ条約憲法9条ではなく、米軍やクアッドでもなく、我が国が保有する実力行使組織の実施する防空作戦だ。自らの国を守れるのは自分たちしかいない。それは今のウクライナを見れば十分理解できるだろう。

 

じゃあ我々はどうするか。国のためになどと思う必要はない、ただ大切な人を守りたいと思う気持ちで十分だ。その大差な人のために何ができるのかを考え、実行に移すことが我々の最もやるべきことだ。

我々日本人は、力によるいかなる現状変更も許してはならない。これはただの「平和趣味者」だからではない、かつての満州にあった生命線は世界中に及びそのネットワークこそが生命線であり利益線であるからだ。

ジリ貧ならばと一発逆転を狙ったかの大日本帝国と今のロシアを重ね合わせる人も多い。私も思わず満洲国の建国であるとアナロジー的な呟きをした。しかし、安易なアナロジーは解釈を歪める。当たり前だが時代も場所も原因も違うからだ。

適切な現状認識に基づく適切な危機意識とその行動が求められる。我々の日常生活は前線となったのだ。

 

ウクライナ危機に際して

今日(2022/02/22 02:49現在)ウクライナの命運を決すると言っても過言ではない。

 

私の考えを述べるにはあまりにも短すぎる時間ではあるが、「何か」が起こる前に私のスタンスを示しておきたい。

 

何があろうと、実力行使による如何なる現状の変更もこれは許されない。つまり、たとえドンバス人民共和国やルガンスク人民共和国の保護だという理由だとしてもそれは単なるでっち上げに過ぎず、全く許される事項ではない。たとえロシアになんの事情があろうと、西欧に対する劣等感があろうと許されることはない。

 

したがって、ロシアはWW2での枢軸陣営と同じように、正規実力部隊による全面侵攻に踏み切った場合、国土が焼けるほどの報いを受けるべきである。また、NATOはかつてのナチスに対するチェンバレンのように譲歩すべきでない。次は、スヴァルキギャップの割譲であり、それに伴ってNATOの崩壊、ソビエトの誕生だ。これではまるで大戦前に戻ったかのような地図が出来上がる。

 

また、この状況を見た日本はどうするか。

隣国には武力による現状変更を試みる大国がおるなかで、何をすべきだろうか。

ウクライナは今日の今日まで「侵攻はない」とし、予備役の招集すらしてきていない。イギリス-ポーランドとの三国同盟がありながらもこれらの効果が発揮されなかった。私たちの日米同盟やクアッドも同じである。

 

日本が核の再武装をしろとかそのようなことを申し上げているのではない。ただ、国民が意識的に安全保障に関する知識をつけ、国はそこに予算をつけ、ハード面の充実はもちろん、ソフト面の充実もすべきだ。特に日本は正面装備の充実度合いに比べ、兵站が疎かであるという悪しき伝統がある。今回の事態に直面し、やるべきことは、正面装備の充実、自衛隊の拡大は当たり前ではあるが、なによりも国民意識の改革を実施するべきだ。

 

剣にペンは勝てるかもしれないが、花束やプラカードでは勝てないのが現実だ。

民主主義陣営たる「我々」は何が出来るのか

日本経済の実態はスターリンも驚くほどの社会主義的な政策(国民性)ではあるが、我々の所属する自由主義と標榜するその「西」側諸国は、権威主義国を中心とする「東」側諸国に対し様々な圧力をかけている。それは自由主義陣営のボスである米国によるものが大きな部分を占め、その軍事力は比肩に成らないものだ。第二次大戦後我々その他西側諸国はその強大な軍事力を利用し身の安全を図ってきた。しかしその安全神話はこのCOVID-19によって最終的に崩されようとしている。

それが、欧州ではクリミア侵攻、ウクライナ危機、中央アジアではタリバン政権樹立、東アジアでは台湾危機など世界的には非常に不安定なことは素人目に見ても分かるだろう。

つまり、我々は①安全神話のツケを払わされるのか、②それともまた我々は独自路線を歩みアジアの主導的立場を取り戻すのか、③それとも全く別の何かか。

 

ここでひとつ私のスタンスをとっておきたいと思う。それは②我々はアジアの主導的立場をとるべきであることに今後の我々の行く末はあると思う。我々はアジアでは「98の運の2の努力によって」いち早くその主導的立場を固め各アジア諸国に侵攻していった。無論それがよかったとははなから思わないが、少なくともアジアの政治の中心として再登板する意欲がなければ、隣国中国に押し潰される未来しか見えない。米国の傀儡でもなく、中国の従属でもなく、両者の緩衝国でもなく。

そのためは、もちろん分かりやすい実力行使部隊を用意するとともに、国民としての意識づけを経っているすべきである